|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 橋 : [はし, きょう] 【名詞】 1. bridge ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 力 : [ちから, りょく] 1. (n-suf) strength 2. power ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 野球 : [やきゅう] 【名詞】 1. baseball ・ 球 : [たま, きゅう] 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball
橋本 力(はしもと ちから、1933年(昭和8年)10月20日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手、俳優。ポジションは外野手。 == 来歴・人物 == 1951年(昭和26年)、函館西高校3年生時に第24回選抜高校野球大会へ出場。初戦で後にこの大会の優勝校となる静岡商業高校に1-0で敗れる。 1951年(昭和27年)、第34回高校野球選手権に出場。準々決勝で成田高校に延長15回の末4-1で敗れた。 1953年(昭和28年)、プロ野球国鉄スワローズへ入団予定だったが、恩人と敬愛する沼澤康一郎から囲い込みを受け、毎日オリオンズへ入団。 1957年(昭和32年)、外野手レギュラーを獲得。この年暮れより、球団は「大毎オリオンズ」となる。 1958年(昭和33年)、阪神タイガースから強打者田宮謙次郎が入団。橋本は外野手としてあぶれた形となる。 1959年(昭和34年)、怪我で二軍落ち。この際に五味康祐原作の小説『一刀斎は背番号6』が、親会社の大映で菅原謙二主演で映画化(監督:木村恵吾)されることとなり、当時二軍にいた橋本はアドバイザー兼選手役で出演。実質的な俳優デビューとなった。 しかし、この『一刀斎は背番号6』で、外野でのダイビングキャッチを演じた際に鎖骨を折ってしまうアクシデントに見舞われ、この年オフに自由契約となり、現役引退。 これを気の毒がった本社の意向もあり、『一刀斎は背番号6』で助監督を務めた中村大十郎が同じ大映の社宅にいたことで「役者にならないか」と誘われ、俳優に転身。本人によるとそのまま撮影所長から大映社長の永田雅一に話が進み、トントン拍子に決まったと語っている。 1960年(昭和35年)1月1日の元旦に、「大映ニューフェイス」として正式に入社発表される。同期入社に伊丹十三、村上不二夫がいる。以後、大映京都撮影所の専属俳優となる。役柄は悪役を中心とした端役が多かった。 1966年(昭和41年)、長躯を生かして『大魔神』で大魔神のスーツアクターを務める。この年3本製作されたこの『大魔神シリーズ』すべての大魔神役を務める。 1968年(昭和43年)、『大魔神シリーズ』の経験を経て、『妖怪大戦争』の悪役・ダイモンのスーツアクターとして出演。ダイモンを演じている中で、瞬きしないままの充血した橋本の双眼による眼力は一躍有名となった。 1971年(昭和46年)、大映が倒産。勝新太郎の「勝プロダクション」に移籍する。 1972年(昭和47年)、香港映画『ドラゴン怒りの鉄拳』で、ブルース・リーの敵役として共演。以後、数々の映画に出演。 1985年(昭和60年)、永田雅一死去をきっかけに、俳優を引退する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本力 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|